昨日の夜、町内にある隠れ家的な飲み屋(といっても入り口はアルミサッシで、食う物は持ち込み自由という、いかにも下町の店)がしばらく閉店するというので顔を出しにいくと、知りあいの先輩方が集結している。

 中でも文扇堂の(荒井)修さんが、凄まじい勢いで話しかけてきた。
「ブログ、読んだよ! その通りだよ!」
 なんのことかと思っていると、ミャンマーの話であった。
「いとうさんは“民生に重点をかけさせろ”って言うけど、どうやってやらせるつもりなの?」
「ああ、そこ難しいですけど、まずミャンマーに入り込んでる日本企業のリストがあってですね。そこに話しかけていこうかと思ってまして」(ちなみに、ここ)
「うん、そういうことも大事なんだろうけどさ。俺、いとうさんだからこそ出来ることがあるんじゃねえかと思っててね」
 修さんは実によく、これから取るべき行動のことを考えてくれているのだった。しかし、なかなかいい案がお互いに出なくなってくる。

 色々と話しているうち、俺は暑くなってジャケットを脱いだ。
 中に着ていたのは古い上海灘の長袖Tシャツで、胸に大きくアジアの老人の写真が写っていた。
 それを見て、修さんが言った。
ビルマの坊さんがデモしてる写真をさ、こういうTシャツにプリント出来ないかな? 俺、絶対着ちゃう。どこへ行くにも着ちゃうよ」
「あ、じゃあ、シンボルカラーのエンジ色がいいですね。で、背中に『俺たちだって仏教徒なんだからな!』(WE ARE BUDDHIST,TOO)って英語で入れよう!」
「いい、いい! つまり、それ着て歩いてるだけでさ」
「デモになっちゃうTシャツ! 俺、それ着て洞爺湖サミット、見に行っちゃう!」

 ということで、Tシャツを作ることは決定。
 買ってもらった代金は、ひとまず『ビルマ民主の声』に送る。
 もしもミャンマー国内に信頼し得る民生機関が出来れば、そこに送る。

 そして、ここからが重要なのだが、プロジェクトはノープランなのである。

 まあ、デザインはこちらでする。前に貼ったデモの写真の使用許可に関しては、なんと偶然にもあのブログ運動に参加しているスイス人が俺の親友の奥さんの友人だったそうだから、そちらから聞いてもらう。
 さらに最初の資金は俺が出す。回収出来れば、あとで回収する。
 だが、Tシャツ工場はどこにするか、保管する場所をどう提供してもらうか、発送を分担してくれる人は誰か、金を最終的に送金してくれるのは誰か。

 そういう問題を、俺はひとまずこのブログ内でネットワーク化したい。
 
 「実家の倉庫に段ボール20箱置ける」とか、「ネットバンキングの口座を持っているので使ってくれ」とか、「メッセージの英語、間違ってますから直します」とか、やれることを教えていただきたい。

 俺にはまるで経験も方法論もない。
 が、だから面白いことになるはずだ。
 失敗こみで。
 なにしろ、あらゆる社会運動は成功を前提とすべきでない。それが俺の考え方である。

 では、皆さんの力をお借りします。
 よろしくお願いします。