<オポジション>あるいはオーソドックス・オポジション

P5

 あるいは、対角線的に見れば図4になる。
 図1において白番のとき、“ 黒キングはオポジションを取っている”と言われる。
 オポジションはダイレクト(図1)のこともあれば、

readymade by いとうせいこう-4
 

ーーーーーーーーーーーーーーー

<いとう註:図1において、白の番ならば白キングが動かざるを得ない。図にあらわれていないポーンはすべて動くことが出来ないからである。どちらかの駒がすべて動けなくなったとき、チェスでは「ステールメート」が成立し、引分けになってしまうのだ。したがって、勝ちたいなら相手の駒に動く余裕を与えておかなければならない。
“オポジションを取っている”黒キングは、したがって相手を意のままに動かしている。白キングに動く余裕を与え、しかし攻撃させない。主導権はこのとき、黒に存している。
 デュシャンらはここで初めて、オポジションの説明を開始する。
 この図4の中に、図1が含まれている。
 白キングe6、黒キングe8の状態がそれである。
 ひとマス分を隔ててのオポジション。それがダイレクトオポジションである>
<オポジション>あるいはオーソドックス・オポジション

P5

 図5のようにディスタントの場合もある。白番。
 以上2つのオポジションでは、キングはともに同じ縦列、あるいは横列上におり、同色のマス目の上にいる。
“こうしたオポジションは、攻撃にも防御にも効果的である”
 他に“ヴァーチャル・オポジション”と呼ばれるものもある。

readymade by いとうせいこう-5


ーーーーーーーーーーーーーーー

<いとう註:離れていても、オポジションは有効である。+字はd5、e5、f5の上に打たれている。
 白キングと黒キングは等間隔に位置しており、この局面が白番であるからには白キングがまず動く。d5、e5、f5が攻防のために意識しておくべき重要なマス目だと推測出来る。その支配を忘れると、キングは自由の身となって他のポーンを奪うことになる。
 さらにここで重要なのは、キングが「同色のマス目の上にいる」と書かれていることである。
 これまでの55ノートでも説明した通り、白と黒は美術的には色ではない。それは光と影のことであり、色彩を超えた存在なのだ。
 したがって、オポジションは“光と影”の規則性をあらわすと断定してもよい>
<オポジション>あるいはオーソドックス・オポジション

P5

 図6と図7(黒番)では、白キングはヴァーチャル・オポジションを取っている。
 図6はダイレクトであり、

readymade by いとうせいこう-6


ーーーーーーーーーーーーーーー

<いとう註:ダイレクトであることは、ひとマスをはさんでキングが対峙していることでわかる。
 問題はヴァーチャル・オポジションとは何か、ということになる。
 P6でそれはくわしく語られることになる>
<オポジション>あるいはオーソドックス・オポジション

P6


 図7はディスタントである。

 動きによって、両キングはヴァーチャル・オポジションに入るが、このとき“長方形の、対角に向き合った4隅のマス目が同色”となる。

 ヴァーチャル・オポジションは攻撃の際にのみ、有効である。ヴァーチャル・オポジションにより、攻撃側のキングは“縦列あるいは横列上のオポジションに変化できる”が、これには幾つか条件がある。
 その条件を定義していこう。

readymade by いとうせいこう-7


ーーーーーーーーーーーーー

<いとう註:色の問題が「ヴァーチャル」か「リアル」かを分けるのである。先の註からすれば、光か闇かが、事の分かれ目になるわけだ>
<オポジション>あるいはオーソドックス・オポジション

P6

図8。
 黒番、以下たとえば
 1 ......   Kc4
 2 Kg6! Kd4
 3 Kf6! Kc4
 4 Ke6  Kc5
 5 Ke5 以下、黒の次の着手次第で、白キングはd4もしくはd6を占拠する。

 さて、同様の図で考えてみよう。(つまり同様とは、マス目が攻撃の対象であるが)白キングがh7、黒キングが……b5とする。

readymade by いとうせいこう-8


ーーーーーーーーーーーーーーー

<いとう註:「!」が付いているのは基本的に妙手。この例では白キングのKg6、Kf6が注目すべき動きをしていることになる。実際、盤面で動かしてみると、白キングはこの2手において「バーチャル・オポジション」をとり続けていることがわかる。つまり、黒キングと同色のマス目へと動いているのである。
 3手目の黒キングはKe4と攻撃せず、Kc4と元の位置に逃れてオポジション(異なる色の)を取ろうとするが、白キングはさらにKe6と攻めたて、同色(白マス)の構造を維持する。対して黒キングはKc5と黒マスに入るのだが、白キングはさらにKe5と対峙して(またも同色のマス目)、+字を打ったマス目の群れを支配するに至る。
 これが図7で言われた「攻撃の際にのみ、有効」ということだろう。
 チェス的な問題はやはり、3手目の黒キングKc4。なぜe4として通常のオポジションを取りにいかなかったか、だろう。おそらくここに+字の意味がある。d4d5d6を守るためにこそ、黒キングはいったん下がらざるを得ない。e4に黒が入ると、白キングはe6として、より早く+字のマス目を支配することになる。
 図で示された局面はキングのみが置かれているのだが、本当はどこかにポーンが存在しているのであって、+字はそのポーンの位置に関係しているのかもしれない。
 では、「A-B」の横線は何をあらわすのか>
<オポジション>あるいはオーソドックス・オポジション

P6

 図9。
 黒番。白はここでもディスタント・ヴァーチャル・オポジションである。しかし、d4-d5-d6のいずれの征服にも有効ではない。そこで、黒はこう指す。
 1 ......    Kc5
 2 Kg7  Kd5
 3 Kf7  Ke5
 4 Ke7
 白は縦列上でダイレクト・オポジションを取ったが、まるで役に立ってはいない。なぜなら“マス目はひとつとして攻撃されていない”からだ。つまり、すでにおわかりだろうが、単独のマス目を守るためにオポジションを取る必要はないのである。黒番、以下、
 4 ......    Kd5
 5 Kd7  Kc5
 6 Ke7  Kd5!
 7 Kd7  Kc5
 8 Ke6  Kc6! =

readymade by いとうせいこう-9


ーーーーーーーーーーーーーー

<いとう註:これほど遠く離れていてもオポジションは始まっている。
8手目の黒の手に「!」が付いているが、これはついに黒がA-B線を破って、白キングの領域に入ったことを示すと思われる。対して、黒6手目の「!」はKc6(8手目と同じなのだが)と入らず、+字を打ったマス目を支配したことへの評価だろう。続く7手目で白はd列上のダイレクト・オポジションを取るが、黒にかわされてKe6と下がらざるを得ず、ついに+字マスをすべて黒に支配された上、A-B線を破られるに至る>
<オポジション>あるいはオーソドックス・オポジション

P7

 図8と図9が異なるのは、なぜだろうか?

 概括的に言うと、図9の黒キングは、“白キングにAB線上でのディスタント・オポジションを許すことなく、AB線上を動くことができる”からである。そして、“この場合、正面からの攻撃(最も危険である)の可能性はない”し、側面からの攻撃(第3手、4手)も脅威にはなり得ない。

 J. Drtina と Fr. Dedrle の用語にならって、本書では守らなければならないマス目のことを“クリティカル・スクエア”(+でマークしたマス目)と呼び、また、そうしたマス目のグループの中央に引ける線を“プリンシパル・ライン”(AB)と呼ぶことにする。

 グループが3つ以上のマス目から構成されている場合、複数のプリンシパル・ライン(訳注:主要な線)が存在する。4つのマス目なら2本、5つなら3本といった具合だが、つまりプリンシパル・ゾーン(訳注・主要な面)が存することになる。

 ここまで、我々はクリティカル・スクエアへの純粋に一般的な攻撃におけるオポジションのメカニズムを研究してきたが、以降は線上に並ぶ3つのクリティカル・スクエアを作り出してしまうポーンの、異なったフォーメーションについて検証していこう。これらの典型的なフォーメーションの集合は、ポーン・エンディングにおけるオポジションの応用編を示すことになろう。

--------------------

<いとう註:すでに「55ノート」をお読みの方はお気づきの通り、「クリティカル・スクエア」(スクエアをこれまで「マス目」と訳してきたが、ここではデュシャンらの用語をそのまま使う。僕の拙劣な翻訳でのちの誰かの新しい研究の可能性をせばめるわけにはいかない)はデュシャンの遺作において、のぞき穴ともうひとつの壁の向こう側の世界である。事実、床には市松模様のリノリウムが敷いてあったのだから。
 そして、のぞく側が絶対に破ることの出来ないスペイン・カダケス産の壁(のぞき穴が付いた第一の壁)を、「プリンシパル・ライン」と考えることが出来る。
 この本の検証も終えずに「デュシャンの作品とチェスにはなんの関係もない」という者は愚かである。デュシャンの謎は暗示的でなければならないと彼らは考えており、顕在的な事柄を非論理的に無視している。つまり一方的な神格化であり、彼らにアンフラマンスなど理解出来ようはずもない。「隠された深さ」「特権的理解」のベールを彼らはデュシャンの前に引いてしまう。僕はこうした非ユーモア的でもある怠け者をデュシャン解釈界から排除するためにも、翻訳を続けたい。彼ら自称デュシャン研究者の資料的な“酷薄”は、翻訳の最後に特に明らかになるだろう。その数ページはなんとあの「大ガラス」を想起させてやまず、こちらをにやりとさせ続けるからである。それはいかにもデュシャン的なのだ。
 ではもう一度、あってしかるべき愉快な仮説を提示しておこう。
 プリンシパル・ライン(AB線)=遺作の第一の壁(作り手と鑑賞者の中央に位置することになる)。
 クリティカル・スクエア=遺作の中の世界>

<いとう註:図9の「第3手、4手」、つまり「側面からの攻撃」とは、白Kf7と白Ke7を指す。前項のデュシャンらの解説通り、白キングはe列上でのダイレクトオポジションを狙うべく近づき、実際そのオポジションを取ったのだが、黒Kd5とかわされた。黒キングはひたすら「クリティカル・スクエア」を支配し続けたのである。
 さて、ここから先、今度はポーンの位置、動きが検討される。
 そして、キングとポーンが盤面に現れ、オポジションの全体像が見えてくることになる>
<オポジション>あるいはオーソドックス・オポジション 

P7

 クリティカル・スクエアは4つのカテゴリーに分けられる。


 1 “有効なスクエア”
 A. Durand の命名(「Nouvelle Regence」/パリ/1860年、「チェス終盤戦の論理的戦略」/P.12)。

 図10、11にこれを+字で示した。その特徴は次の通り。

 有効なスクエアとは、3本のメイン・ファイル(訳注:メインの縦列)上の、ポーンの2つ先以降のマス目を言う。ただし、これはポーンが2~4本目の横列に位置している場合であり、5本目以上の横列にあるポーン(D. Prezepiorka の素晴らしい規定にならえば<ボードの中央を超えたポーン>)では、すぐ前からが有効なスクエアである。A. Durand の解説にあるように(同書、P.10)、ポーンをクイーンにするために<白はここで、“有効なスクエアのひとつに”到達するべく、“狙いを定める(訳注:one object in view)”だけでよい……黒キングの役割は“すべての”有効なスクエアへの接近を妨げることである>。

 ここでは、手番にまったく依存しない有効なスクエアについて解説した。それらのマス目を占拠するだけで勝利は間違いない。

readymade by いとうせいこう-10


readymade by いとうせいこう-11


--------------------

<いとう註:「ポーンをクイーンにする」という表現に注意したい。「55ノート」的に言えば、この“クイーン化”の不思議が大ガラス上部における「花嫁」に関係しているからである。
 また、白(前提として攻撃側)はどれかひとつのマス目に到達すればいいのに対し、黒(前提として防御側)はひとつでも失えば負けることにも留意しよう。遺作においてどこに視線をやってもいい鑑賞者と、しかし本当の“有効なスクエア”に侵入されてはならない制作者との関係を考えるのに、この構造は刺激的である>

<補注:「Nouvelle Regence」の「Regence」、最初のeにアクサンタギュが付く>
<オポジション>あるいはオーソドックス・オポジション

P8

 とても教訓的な配置を見てみよう(図12)。

1 Kc2! Ke7
2 Kb3  Kd6
3 Kb4  Kc6
4 Kc4 オポジションに感謝すべきことに、白は有効なマス目のひとつを取ることになる。
 白が1手目でKd2としてヴァーチャル・オポジションを取っていれば、黒はドローに持ち込める。ポーンのために白キングがC3に移動出来ないことが黒に幸いする。

1 ...   Ke7
2 Ke3  Kd7
3 Kd3  Kc7!=

 味方のポーンによる占拠のためキングが到達出来ないマス目、つまり“ふさがれた”マス目に注意することは、きわめて重要である。

readymade by いとうせいこう-12


--------------------------

<いとう註:この遠さでも、1手目にKd2とすると白は勝つことが出来ない、という。
 二つ目の一連の駒の動きが白の“敗北”を物語る。このあと黒はc2のポーンのそばを離れずに移動し続けるだろう。白はそのポーンを守るべく“ワルツ”を躍らされることになる。したがってドローを宣言するしかない。
 また、勝ちか引き分けかの区別は何よりもまず「ヴァーチャル・オポジション」かどうかによって判断出来、その判断はマス目の色によって証明されるわけだ。
 さらにデュシャンらはここで、自陣のポーンに“ふさがれた”マス目への配慮を呼びかけている>

<いとう註:図12の上には「 J.Drtina Cas Ces.Sach.1908」とあり、下には「白番で勝利」と書かれている(「Les Blamces jouent et gagnent」)。1908年の対戦を復元したというわけだろう>
<オポジション>あるいはオーソドックス・オポジション

P8

 2:“境界のマス目”

 A. Durand が発見した(「La Nouvelle Regence」/パリ/1860年、「チェス終盤戦の論理的戦略」/P.29)。ブロックし合ったポーンの、白黒それぞれの左右3つのマス目を指す。

 図13:
 白キングがこれらのマス目のどれでもひとつを占めさえすれば、黒ポーンを取ることができる。“境界のマス目の裏側”を、白キングは自由に動くことが可能だとわかるはずである。

readymade by いとうせいこう-13


--------------------

<いとう註:“境界のマス目”とは、仏語原典で「Cases limites」。英語原典で「Limit squares」。独語原典で「Grenzfelder」。
 図13の+字は、白キングにとっての“境界のマス目”である。黒キングからすれば、白ポーンの左右3つずつのマス目がそれだ。
 黒ポーンと同じ横列(5)に侵入し終えた白キングは、その黒ポーンの利き(左右斜め前、c4とe4に対する利き)をすでに逃れている。したがって、横にスライドするか、裏側を回るかして黒ポーンを取ることが出来る。そういう意味なら、わかる。
 ただ、図の黒ポーンの右4つ目のマス(h5)ではなぜいけないのかが疑問になってくる。“境界のマス目”は「左右3つのマス目」と限定されているのだ。決して、黒ポーンと同じ横列に入ればいいとは書いていない。ということは、黒キングがどこにいても、白キングは“境界のマス目”に入りさえすれば黒ポーンを取れる、ということだろうか。
 この図13はよくわからない。
 次の図14から続く幾つかの説明にいたって、こうした疑問が少しずつ解けてくる>