先日ヌスラット・ファテ・アリ・ハーンについての文章をこのブログに書いたところ、『ビットワールド』の番組スタッフに「せいこうさん、ヌスラットが好きだったんですか」と驚かれた。

 考えてみれば、俺がカッワーリーの王者、ヌスラット・ファテ・アリ・ハーンを『ヌスラット様』と呼んで崇めていた時代から十年以上が経っていた。まだ尊師(「ハーン・サーハブ」、つまりハーン尊師とパキスタン人は呼ぶ)が生きておられた黄金の時に、俺は「ミュージック・マガジン」の特集で密着取材を敢行し、やがて尊師ヌスラット様の名前を継ぐことになるラーハト・ヌスラット・ファテ・アリ・ハーンの少年時代をも活写したものであった。その俺の大騒ぎを、もう知らない世代がいて不思議ではない。

 ちなみに、のちにこの次世代のイスラム神秘主義歌謡のプリンス、ラーハトのCDをヒップホップの創始者の一人、リック・ルービンがプロデュースすることになるわけで、俺の耳の好みはまったく揺らがずに一定範囲内に存在している。

 さて、その俺がヌスラット様(600年続く、パキスタンのイスラム歌謡演奏者の家系の長)の逝去されたあと、しばらく遺作(『スワン・ソング』)などを聴いて暮らしているうち、数年前にライス・レコードというところから『ヌスラット・ファテ・アリ・ハーンに捧ぐ』という偉大なコンピレーションが出た。
 前にも書いたが、近頃はそればかり聴いている。電車でも歩行時でも家でもそれ。
 ヌスラット様の超絶歌唱も素晴らしいけれど、インド、中近東、セネガルなどのイスラム圏から“コブシ系”の頂点をきわめるボーカル&演奏者が続々参加しているところがミソで、いくら聴いても聴き飽きない。

 中でも、アゼルバイジャンの「ムガーム」(あるいは「ムカーム」と呼ぶ)という民俗音楽に俺はイカレ始めている。時にヌスラット様よりそちらを聴く機会さえ多くなっている始末だ。特にアリム・カシモフと、その娘フェルガナ・カシモワの声の素晴らしさ。その嘆き、その喜び、その怒り、その愛……。すべてを歌に託すことの出来る能力と伝統の極北!
 
 とにもかくにも、『ヌスラット・ファテ・アリ・ハーンに捧ぐ』(二枚組)は必聴である。これを聴けば、説得力とは何か?と考え込まざるを得ない。ボーカライゼーションとは本来、神仏の領域であることをも我々はいやおうなく知らされるだろう。

 神なき時代のボーカルの潜在的な貧しさに絶望してこそ、ようやく現代人は歌い始めることが出来るのではないか。
 浄瑠璃でいうところの「息」「音(おん)」「間」の三大要素をすべてのイスラム系歌手が備えている現実を前にして、我々は日本の伝統音楽から今生きている歌手が学ぶべきことの多さを確実に痛感するはずだ。

 あ、それから、ブット暗殺後のパキスタンを俺はヌスラット信者としてこの目で見てみたい。
 カッワーリーがどうなっているのか。
 イスラム神秘主義がどうなっているのか。
 アメリカの爆撃以後のアジアを、俺は民俗芸能からしっかりとらえたいのだ。
 映像ドキュメンタリーの話があれば積極的にのりますので、是非申し込んで下さい。


 
 それはともかく、こうした特異な趣味に没頭しているうちにも、俺が編集長をつとめる『PLANTED』第七号は発売されている。
 今回は「ジャングル特集」。いい出来である。
 校了の時、クリエイティブ・ディレクターのルーカスB.Bに「今号の中身が一番濃いね」と言ったら、「JUNGLEっぽいかな?」と問い返された。答えはもちろん「イエス!!」。
 内容の繁茂の具合は、まさしく密林的だ。

 以下、うっとりするような表紙。

 




 さて、先日、「俺はTシャツ屋じゃねえぞ 2008」とプリントされたTシャツを一品物で作ったが、それをチャリティー・オークションにかけたいと思う。俺はチベットの役に立ちたいんだ!
 欲しい方は、このブログのメッセージ欄にいくらで買うか書き込んでください。
 一番の高値を宣言した人に落ちます。

 そして、振り込まれたお金は全額「チベット人権センター」に送ります。


 こういうことなら、今までさんざん偉そうなことを言ってた奴らが人生賭けた高値をつけないわけがなかろう。

 このオークションのことを知らないと大変申し訳ないから、みんな、あらゆる方法で奴らに伝えてくれ。「一番の高値で買え!」と。1000万でも一億でも俺は驚かない。

 以下は現物。





 さあ、買ってもらおうじゃねえか!