国連安保理の議長声明が、ミャンマー軍事政権への「強い遺憾」を示した。
 中国・ロシアの反対で声明自体出ないかもしれないと懸念していたから、後退した表現ながらひとまずはよかった。
 ちなみに、このタイミングで日本ペンクラブがミャンマー軍事政権への「強い憤り」を声明文で出した。遅過ぎる。国連に歩調を合わせる言論人って大丈夫か? ネット時代にペンクラブがマンパワーで対抗出来ていない。
 
 さて、前々回、ミャンマーへのODAについて「軍部に資金を与えているに過ぎないならはっきりと打ち切りにすべきなのは当然である」と書いた。
 だが、日々考えているうちにこれは違うなと思うに至った。
 後進国が陥る最悪のケースがミャンマーである。軍部が国民の雇用と産業を支えてしまっている。したがって、軍部に金を回さないとなると、人の体から心臓をつかみとっておいて、なおかつ生きていろと言うような事態になる。だからこそ、軍事政権の打倒がひたすら困難であるわけだ。

 となれば、我々に出来ることは「もうひとつの心臓を作る」ことしかない。非営利組織は言うに及ばず、ミャンマーに入り込んでいる日本企業にも民生への資金供与を呼びかけて、なんとしてでも軍事政権から離れた経済体を立ち上げないと無理だ。
 ということで、ODAを打ち切るより、そのODAの使い道を変化させるべく圧力をかけることが重要なのだ。
 もちろん、その間、あの軍事政権に牽制を与え続けなければならないことに変わりはないのだけれど。

 さて、どうやって? と考えているうちに、来年の日本でのG8サミットのことが気になって仕方なくなった。世界にアピールするなら、開催地・洞爺湖での討議の中にミャンマーのことを入れるように主張しなければならないのだが、そもそも日本でこのサミットをターゲットにしたデモなど行われるのだろうか? 俺はそのことが心配になったのである。

 これまでのどんなG8サミットとも違って、洞爺湖サミットではむしろ完全な無言をもって、世界に日本の異常さがあらわにされるのではないか。なんの抗議行動もない“静かで安全なサミット”が、日本の終わりを明確にするのではないか。政治意識も社会性もない国の、世界史の中での終局の姿がそこに現出するのではないかと思うと、俺はぞっとする。

 福田政権がサミットまで持つかなどというレベルで、今度のG8を語っていてはいけない。洞爺湖サミットにおいて、「日本に市民がいない」「日本に市民的良心がない」という事実に、世界があぜんとする可能性は大きいのであり、そのときこそ我々は驚くほど深い軽蔑の対象になるだろう。
 そのことが世界の中での日本の発言力を決定的に低下させることにもなる。